プロフィール
藤野やすふみ
略歴:1970年福岡県生まれ。修猷館高校、京都大学法学部卒業。
穀田恵二、吉井英勝、両衆議院議員の秘書をつとめ、2003年から党中央委員会の政策委員として、主に中小企業政策や財政・金融政策を担当。2012年総選挙で比例北陸信越ブロックから立候補、惜敗。
2014年総選挙で初当選。当選後は原発、消費税増税、中小企業、共謀罪など、論戦の先頭に立つ。全国のほとんどの原発を視察し、住民らと懇談するとともに、チェルノブイリやヨーロッパの原発や関連施設にも足を運び、調査をおこなう。
現在、党政策委員会副責任者、党原発・気候変動・エネルギー問題対策委員会事務局長。
世界20ヵ国を訪問し、国際感覚をみがく。
趣味は、サッカー、スキー、旅行など。家族は妻。
PROFILE1970-2021
日本共産党に入党したのは
両親とも党員で、「世の中を良くしたい」と頑張っていた姿を見ていたので、党に対する信頼はありました。
大学に入り、民青同盟に加盟。
戦前、治安維持法下で『平和』や『民主主義』と言っただけで弾圧された時代にも、日本共産党が命がけで『反戦平和』を掲げて頑張りぬいたこと、戦後もアメリカ言いなりの原因として『日米安保条約』があること、自主独立の立場で旧ソ連や中国の干渉とたたかってきたことなどを学びました。
大学祭(NF)では、国会議員を招いての討論会を開催。
学生側のパネリストとして発言しました。
当時印象深かったのは、湾岸戦争との関係で、「自衛隊が戦後初めて海外に派兵されるかもしれない」という緊迫した局面だったこと。
私は、仲間と一緒に、「平和的解決こそが必要だ」と京大時計台での学内集会などに取り組みました。
アメリカの軍事行動への協力ではなく、憲法を活かした平和貢献へ進むかどうか、日本の進路が鋭く問われる中で、私も「社会をよくしていく」という運動と自分の生き方を重ねようと思い、1990年、日本共産党に入党しました。
国会議員に立候補したのは
総選挙への立候補の要請を受けた2011年秋、私は中央委員会で政策委員として活動しており、自分が国会議員になるとは全く考えていませんでした。
同年3月11日、東日本大震災と東電・福島第一原発事故を経験し、私自身被災地へ行き、震災からの復旧・復興のために政治を変えなければならないと強く感じていました。とくに、「原発ゼロ」の日本を実現するためには、日本の原発の約半分が集中する衆院北陸信越ブロックで日本共産党の議席がどうしても必要でした。しかし、2003年以来、このブロックで党衆院議員の議席は「空白」となっており、議席を奪還することが強く求められていました。
私でいいのかと悩みましたが、家族や同僚とも相談し、立候補を決意しました。
候補者となって5県を駆け巡る中で、「2003年ぶりに党の議席を取り戻そう!」「あなたと一緒にがんばるよ!」という熱いエールを各地でいただきました。本当に感謝しています。
「原発ゼロ」にこだわるのは
私は、国会議員になる前から、全国の原発を訪問し、立地自治体の住民や業者の皆さんと懇談してきました。
また、チェルノブイリや欧州、アメリカの原発や核燃料サイクル関連施設に足を運び、原発からの転換の先進例を学んできました。
2018年に野党共同で国会に提出した「原発ゼロ基本法案」。(写真)
国会史上初めて、「原発ゼロ」を掲げた法案が提出された意義は大変大きなものがあります。
3.11の原発事故を経験した日本で「原発ゼロ」を実現するためにも、日本の原発の半分が集中する北陸信越ブロックで日本共産党をさらに大きくしなければならない――この決意を新たにしています。