2013年4月28日
コラム 古い提言・論文
1951年9月8日、日本は、第二次世界大戦の連合国側49か国とサンプランシスコ平和条約を”締結”しました。
同条約が”発効”したのが、翌1952年4月28日です。
今から61年前の今日というわけです。
安倍内閣は、この4月28日を「主権回復の日」にしようとしています。
とんでもないことです!
サンフランシスコ条約には、沖縄・奄美・小笠原のアメリカ支配、千島列島の日本領有権放棄、さらには、米軍の常駐許容条項まで含まれていました。
フランスの国際法学者ロッシュ氏は、これらの条項について、「併合を実現することなく、併合の利益を享受する手段として、これ以上に狡猾なものを知らない」と痛烈に批判しています。
「これ以上に狡猾なことはない」ことが決まったのが、この日なのです!
しかも、サンフランシスコ平和条約締結の数時間後に、”秘密裏”に締結されたのが、旧・日米安保条約です。
米国の日本史家のジョン・ダワー氏は、日米安保条約について、「考えられるあらゆる方面でのアメリカへの軍事的従属を永続化することによって、日本を支配するための手段であった」と指摘しています。
「従属を永続化」した日が「主権回復の日」などと、認めるわけにはいきません!
私は、2002年の夏、アメリカ・サンフランシスコで、これら2つの条約が締結された”現場”を訪れました。
米国在住の友人と妻の3人で、足を運んだのです。
まず、下の写真は、サンフランシスコ条約が締結された”現場”であるオペラハウスです。