2015年6月17日
コラム
まもなく父の日です。先日、本紙「母の日特集」で母のことを書かせていただいたので、今回は父のことを書きたいと思います。
私の父は、戦前、海軍兵学校に入り、訓練で海を走る人間魚雷『回天』を見て「これに乗って神国日本のために死のう」と決意します。しかし、そのとき父の脳裏に祖母の顔が浮かび、涙が出そうになったので、「達善(父の名)、そんなことでどうする」と自分を叱りつけたといいます。そんな父が戦後、日本共産党に出会い、葛藤の末、入党したそうです。
大学を卒業して中学校の教師になり、「どの子も百点がとれる」と学内で百点運動などを実践。多くの生徒を育て、教え子からは今でも「藤野先生」と慕われています。その後、日本共産党の候補者として衆議院選挙や参議院選挙で長年奮闘しました。家族とともに世界数十カ国を訪問し、各国に「タツゼンサン」と呼び合う友人がいる国際人でもあります。
父からは、仲間を大事にすること、社会に目を向けること、歴史に学ぶことの大切さを教わりました。私の名前、保史の「史」には、そんな父の思いが込められています。父は80代半ばですが、現在、福岡県の炭鉱で実際にあった朝鮮人強制連行と強制労働についての本を執筆中です。父のモットーは「現場に立って考える」。世の中を良くするために現場で頑張り続ける父は、昔も今も私の“お手本”。これからも元気でいてほしいです。