2015年5月20日
コラム
5月11日、超党派の「水俣病被害者とともに歩む国会議員連絡会」による新潟県現地調査に参加しました。「新潟水俣病」の汚染源である昭和電工の鹿瀬工場跡地、メチル水銀排出口などを視察し、移動中のバスの中で、被害者の方から実態をお聞きしました。「私の祖父は急に発症した。光に反応するので家中の窓を毛布で目張りし、枕元には常に親戚の男が3人いた。あの異様な光景が脳裏に焼き付いている」、「まさかこの歳になって自分が患者になるとは思ってもみなかった。まだまだ潜在的な患者がいるはずだ」、「線引きで県民を分断する政府のやり方は許せない」など怒りの声が相次ぎました。
工場跡地に立つと、福島のことが強く思い出されました。同工場でのアセトアルデヒド生産は、当時の政府の産業政策の柱。「国策」、「国の責任」、被害救済の遅れという構図はまさに原発事故と同じです。
現地調査の後、県庁に移動して、泉田裕彦新潟県知事と懇談しました。私からは、「北陸信越ブロックには4大公害病のうち、イタイイタイ病、新潟水俣病の2つがある。国の責任はきわめて重い。一刻も早い被害救済に向けて力を合わせたい」と発言しました。その時に知事が強調したのが「被害救済を前にすすめるためには世論が大事」という点。その通りだと思います。「新潟水俣病」の公式認定から今年で50年。被害者は高齢化しており、救済は待ったなしです。党派を超えた共同を広げるために力を尽くします。