2015年5月2日
コラム
私の名前の保史の「保」は、保育の「保」です。これは、母が保育士をしていたからです(ちなみに、「史」は父が社会科の教師をしていたからです)。福岡の保育運動の草分け的存在だった母は、長野県(山之内町)で毎年夏開かれていた保育の全国研究交流集会、通称「合研」に参加していました。まだ幼かった私も、母に連れられ、毎年長野に行っていました(写真は長野県上高地)。私はこの「合研」で、民主的な運動の息吹を吹き込まれたと思っています。
母は旅行が好きです。私の家族が海外旅行に行くようになったきっかけも母の発案だったそうです。初めての家族旅行は旧ソ連。私はまだ4歳、兄は9歳でした。それ以来、「ない金をかき集めて、スッテンテンになるまで遊びまわる」(祖母)とあきれられながら、各国を旅行してきました。「世界の流れの中で日本を見る」という視座が私の中に培われたのも、母が言い出した家族旅行の経験が根っこにあると思っています。
共働きの母はいつも時間に追われていたと思いますが、手際よく料理する姿が印象に残っています。母が作った「がめ煮」(筑前煮)はふるさとの味。父の漬物と並ぶ私のソウルフードです。80歳近い今でも、公私ともに忙しそうにしている母を見ると頭が下がります。これからも元気でいてほしいです。