2024年5月2日
北陸信越での活動 提言・論文 活動日誌
72年前の1952年4月30日に、長野県辰野町で起きた「辰野事件」をご存知でしょうか?
辰野事件とは、今から72年前の1952年4月30日、辰野警察署等が、何者かによってダイナマイトや火炎瓶で襲撃された事件です。
警察は容疑者として、無実の日本共産党員13名を逮捕・起訴。1960年、長野地方裁判所飯田支部は13名全員を有罪としましたが、1972年12月1日、東京高等裁判所は証拠不十分として逆転の無罪判決。検察も上告を断念して無罪が確定しました。この事件の裁判には、林百郎衆院議員も弁護士として参加しています。
当時、長野県内では、辰野芝浦ミシンのリストラ闘争、林楽器の倒産、三峰川の乱開発、美和ダム建設工事の強行などをめぐり、さまざまな県民闘争が展開され、その中で党への支持が広がっていました。これに危機感を抱いた当時の支配層によって「辰野事件」がでっちあげられたのです。
全国的にも、下山事件、三鷹事件、松川事件などの謀略事件が相次ぎ、党と国民を分断する策動が激化した時代でした。
辰野事件の記念碑には大きく「真実」と彫り込まれています。20年以上にわたる法廷内外の闘争の苦労はいかばかりだったか。
記念碑を前に、その辛苦に心を寄せるとともに、今まさに党と国民を分断する攻撃が強まっているもとで、先輩たちの歴史的闘いに学んで、党勢拡大と総選挙での議席奪還で答えを出す決意を新たにしました。