震災前の年少人口100とすると、原発に近い順に小高区79%減、原町区太田60%減、同高平51%減、同大甕44%減(図)。
また南相馬市からの避難者3000人の9割が原発に最も近い小高区から。
避難者とのつながりについて、「一生懸命、南相馬市の情報を伝えること」だと。3000人の避難者に月2回、広報誌を送っているという。
細かな除染状況、海の状況など「情報をつないでいくのが一番」という市長の言葉が印象的でした。
2006年の市町村合併のわずか5年後に大震災に見舞われた南相馬市。自治体としての力合わせに特別の難しさを抱えながら、震災からの復興に取り組んできたとのこと。
「復興創生期間」があと2年となるもとで、国からは、「南相馬市はもう卒業でいいよね」という趣旨のことを言われ、新規の事業採択などが難しくなってきたとのこと。
しかし、まだまだ復興の真っ只中であり、国の支援継続が必要。このことを強く感じました。