金沢市・加賀市 二次避難者との懇談
午後は、金沢市と加賀市に二次避難している方々から要望をお聞きしました。
輪島市や珠洲市から金沢市に二次避難している12名の方から、今の時点での要望をお聞きしました。皆さん話し出すと止まらない感じでした。
「息子が輪島市で介護の仕事をしていたが、いま奥能登に介護の仕事はない。金沢で探している。2人の孫がいて家族がバラバラにならないか心配」、「何をするにしても申請主義。みなし仮設のアパートに入居するにも、市役所に行き、不動産屋さんに行き、県庁にも行った。申請書を出すことにエネルギーを使って疲れ果てる」「輪島市の私の家の両側の家が倒壊。それらの解体が終わらないと水道が通らないと言われた。なぜそうなるのか?水だけでも通してほしい」…ごく一部の声です。
胸が痛んだのは、「うつになる人が増えないか心配」との声。「能登にいた時は田んぼの仕事や海で海苔取りなど、何やかんややることがあった。でも今は『空っぽ』の時間がいっぱいある。もんもんとしている時間が多い」というのです。「空っぽの時間」という言葉が耳を離れません。
ここでも共通していたのは「先々の見通しを示してほしい」という要望でした。上述の「空っぽの時間」と発言された方も、「先々の見通しがあれば、ありあまる時間をあれこれと使うことができる」と言っていました。
多くの方が「能登に帰りたい」と思っています。そのための気力をつなぐためにも、先々の見通しを早く示すことが求められていると強く感じました。国会議員団とも連携して、住民の意向を最大限尊重しながら復興の見通しを示すよう求めていきます。
加賀市では珠洲市高屋地区から二次避難されている方々からお話を聞きました。漁師をしているIさんは「船は浮いているが、修理もいるし、このままではどうもならん。3月10日にここを出て白山市のみなし仮設に移る。そこから2年後が心配」「知事は大阪万博にカネを出すという。自分のポケットマネーならいいが、何を言っとるかと感じる」「高屋の家は何とか立っているので、できれば戻りたい」「珠洲原発の建設計画が出た時は市役所に座り込んだよ。会社も黙認してクビにしなかったんだよ」とおっしゃっていました。
もう1人は、3月3日付新聞赤旗3面でインタビューが載った、珠洲原発反対運動の中心的役割を果たした塚本真如さん(円龍寺住職)です。円龍寺は倒壊。「今も敷地内のヒビが広がっている」「戻るのは無理かも。今後の住処は決まっていない」と言います。
珠洲原発を止めたことについて、「今回の震災の後、今の二次避難所に来るまでそのことを考えるヒマもなかった。このホテルに来て携帯を見たらすごい着信やメールが来ていて『珠洲原発止めてくれてありがとう』と言ってくれたことに気づいた。『こんな大それたことをしたんだな』と思った」とおっしゃいました。
私も、一昨日、珠洲原発の予定地だった高屋に行き、地割れや隆起の実態を見てきただけに「珠洲原発がなくて良かった」と心から思いました。
Iさんや塚本さんたち、それを支えた人たちの力があったからこそ、原発を止めるという「大それたこと」ができたのだと思います。当時の当事者から、貴重なお話をお聞きできて、本当に良かったです。
作成者 : fujinoyasufumi