衆院法務委 少年法の成り立ちや戦後の動きについて質問
今日の衆院法務委。来週からの少年法改正案の審議に先立って、少年法の成り立ちや戦後の動きについて質問しました。
旧少年法のもと、戦前の少年審判所から223人(1939年のみ)の少年が戦場に送られました。
満蒙義勇軍として、満州に送られた少年もいます。
戦後は、憲法・教育基本法と並んで「押しつけ立法」として現行法は繰り返し改正の俎上に。
1966年には、政府の改正案に対して、最高裁が反対の意見書を出して世論を喚起しました。
今回、少年犯罪や少年処遇の現場である最高裁や家裁の方から意見がないのは残念です。
歴史的に見ても、極めて重い法案。
立法事実なき改悪を許すわけにはいきません!
- 会議録 -
○山田(賢)委員長代理 次に、藤野保史君。
○藤野委員 日本共産党の藤野保史です。
今日は、少年法の審議に先立って、少年法のそもそもの成り立ちや、あるいは戦前戦後の動きについて質問したいと思います。
少年犯罪者を成人と区別して処遇する制度としては、近代法としては、まず旧刑法があります。これは、満二十歳までは、裁判所の判断で、懲治場に留置できると言われておりました。ただ、実際は、その処遇は成人が入る刑務所以上に刑罰的で、監獄の幼稚園と言われていたそうであります。
その後、一九〇〇年に感化院法ができ、いろいろ対応は変わるんですけれども、結局、基本的には、この時代というのは、少年は懲らしめる、あるいは感化する、そういう客体としての位置づけでした。その後、一九二二年に、大正十一年に旧少年法が制定されます。今から九十九年前になるわけです。
法務省にお聞きしますが、旧少年法の提案理由説明で、これは一九二〇年七月十二日の国会議事録があるんですが、鈴木喜三郎司法次官が「不良少年ヲ感化教養シテ、」とあるところの一文をちょっと御紹介ください。
○川原政府参考人 お答え申し上げます。
委員御指摘の部分、読ませていただきます。
「不良少年ヲ感化教養シテ、優良ノ国民タラシムル為メニハ、此少年法案ヲ制定スル必要ノアルコトハ、言フヲ俟タヌノデアリマス、」
以上であります。
○藤野委員 今のが旧少年法の提案理由説明で、つまり、感化教養によって優良な、戦前は絶対主義的天皇制ですから、いわば皇国臣民、優良な国民の育成を目指すという法案でありました。その後、日本が戦争に突入していく中で、この旧少年法というのが、いわゆる保護少年、犯罪少年らを戦争遂行に動員するものになっていきます。
配付資料の一を見ていただきたいんですけれども、これは、当時、少年保護記念日というのがあったんですね、制定されておりまして、一九三八年のその日、四月ですけれども、司法大臣が談話を出しているんですね。 そこに黄色く線を引っ張っているところを紹介しますと、「昨年七月支那事変勃発し、挙国一致国難に当るの時に際会し、少年保護事業もここに新なる重大な責務を担当することになった」と。ちょっと飛びますが、「少年保護事業の革新的飛躍と発展とを図る」とあるわけであります。
どのような革新的飛躍と発展を図るのかということで、同じ資料の一番左の方ですけれども、各少年審判所における活動目標というものを改めて定めます。
一つは、皇道精神の昂揚、これはまさに、そこの下にちょっと書いていますが、少年の教化に際して教育勅語とか軍人勅諭を徹底するんだというような中身ですね。あるいは、少年の体位の向上、そして兵役志願の勧奨、そして保護少年の大陸進出、満蒙義勇軍のことですね。
法務省にお聞きしますが、戦前の保護少年らが少年審判所から兵役に従事した、この資料が、例えば司法保護研究所が編さんされた司法保護事業年鑑というのがありまして、ここに、例えば昭和十三年、十四年の二年について、保護少年の兵役願状況という箇所があるんですが、その表の数を御紹介ください。
○川原政府参考人 お答え申し上げます。
御指摘の司法保護事業年鑑、昭和十三年、昭和十四年の四百六ページにございます「保護少年の現役志願状況」と題する表のうち、昭和十三年の合計の受験数は二百七十一、合格数は百五十九、昭和十四年の合計の受験数は四百七、合格者数は二百二十三と記載されているものと承知をしております。
また、御指摘の少年保護年報、昭和十三年度の三ページの第四節「兵役志願の勧奨」にある表のうち、受験者総数欄には七十九、合格数欄中の計の欄には、陸軍が六十、海軍が四と記載されているものと承知しております。
○藤野委員 やはり、かなりの数が少年審判所から実際の戦場に行った。一九三八年、昭和十三年には百五十九人、一九三九年には二百二十三人です。
満蒙義勇軍については大変限られた資料しかないんですが、今、後半御紹介いただいた少年保護年報の昭和十三年度を見ますと、応募者六十二名に対して合格者十五名という数字が残っております。これは大阪少年所だけなんですね。
大臣にお聞きしたいんですけれども、限られた資料なんです、でも、本来、ある意味、教養の対象、今の言葉で言えば保護と更生の対象となるはずだった多くの少年が戦場とか満州とかに送られていった。それで多くが犠牲になっております。
戦前の少年法がこういった戦争遂行のために機能したということをどう考えるか。大臣、この歴史をどのように考えますか。
○上川国務大臣 お尋ねになりました旧少年法に係る運用の実情、こういったものに関わるものでございまして、当時の事実関係をつぶさに把握していませんので、法務大臣として所見を申し上げるということはなかなか難しいことではございますが、当時の時代の背景が様々あったとはいえ、子供にとりましてはなかなか厳しい現実があった、その実態を見る思いでございます。
○藤野委員 立場というより、私は少年法のことを聞いたんですね。
旧少年法も、そういう意味では、旧刑法とか感化院法とは違って、いわゆる育成という側面、保護主義という側面もかなり萌芽としては出てきていた。しかし、戦争に入っていく中でそこが大きく変わっていって、まさにそこから少年たちが実際の戦場に行くとかいう歴史に、実際に起きたわけですね、旧少年法のもとで実際に起きたわけです。ですから、やはりこれは重いと思うんです。
そうではなくて、その反省に立って、戦後、日本国憲法が作られ、そして、少年法というのも理念が根本的に更に転換されていくわけであります。何が違うかというと、やはり教養とか感化、そういう客体ではなくて、基本的人権の主体である。まさにそういう人権、権利の主体として位置づけられて、そこに可塑性があるんだ、とりわけ。ということで、まさに少年法の一条で、少年の健全な育成ということがはっきりとうたわれたということになります。そういう点で、そこもちょっと跡づけで、跡づけというか、しっかり見ていきたいと思うんです。 法務省にお聞きします。
一九四八年六月十九日に、現行の少年法の提案理由が説明されております。配付資料でもお配りしているので、それを見ながらお聞きしていただければと思うんですが。一九四八年六月十九日、この衆議院の司法委員会会議録六ページなんですが、一番上の段、まず家庭裁判所の設置について提案理由が説明されているんですが、例えば十行から二十行目、どのように説明しているでしょうか。
○川原政府参考人 済みません、ちょっと今、部分を御指摘されて、「第一は」のところから何行目までとおっしゃいましたでしょうか。(藤野委員「二十行でいいです。「なお」のところは結構です。そっちは私がやりますから」と呼ぶ)分かりました。その「なお」の手前まででございますか。(藤野委員「はい」と呼ぶ)恐れ入ります。申し訳ございません。
お答え申し上げます。
「第一は家庭裁判所の設置であります。新憲法のもとにおいては、その人権尊重の精神と、裁判所の特殊なる地位に鑑み、自由を拘束するような強制的処分は、原則として裁判所でなくてはこれを行うことができないものと解すべきでありまして、行政官庁たる少年審判所が、矯正院送致その他の強制的処分を行うことは、憲法の精神に違反するものと言わなければなりません。従つて少年審判所を裁判所に改め、これを最高裁判所を頂点とする裁判所組織の中に組み入れるのは当然のことでありまして、このことは法務庁設置法制定の際、政府の方針としてすでに確定しておるところであります。」
○藤野委員 まさに新憲法の下において、人権尊重の精神と、裁判所の特殊なる地位、つまり司法権の独立、やはりこの観点から家裁がつくられた。
「なお」以下と申し上げているのは、実は、初めは少年裁判所というのをつくろうと、家裁じゃなくて。という構想だったんですが、そのところにありますように、「少年の犯罪、不良化が、家庭的原因に由来すること多く、少年事件と家事事件との間に密接な関連が存することを考慮したため」に、少年裁判所じゃなくて家庭裁判所ができた。そのことがここで提案されております。
第二が、旧少年法というのは十八歳が年齢だったんですが、現行法は二十歳に引き上げたんです。これがその二段目に書いておりまして、法務省、この二段目の十二行目から二十二行目まで、この部分。
○川原政府参考人 お答え申し上げます。
二段目の十二行目から二十二行目まででありますね。
「このことは彼等の犯罪が深い悪性に根ざしたものではなく、従つてこれに対して刑罰を科するよりは、むしろ保護処分によつてその教化をはかる方が適切である場合の、きわめて多いことを意味しているわけであります。政府はかかる点を考慮して、この際思い切つて少年の年齢を二十歳に引上げたのでありますが、この改正はきわめて重要にして、かつ適切な措置であると存じます。」
以上でございます。
〔山田(賢)委員長代理退席、委員長着席〕
○藤野委員 そういうことなんですね。「この改正はきわめて重要にして、かつ適切な措置」ということでありました。 そして、第三が、その横にありますけれども、保護処分と刑事処分との関係です。これは、戦前の旧少年法が、刑事処分先議主義というか検察官先議なんですね。これを家裁全件送致、保護処分優先主義に変えたということであります。
ここはちょっと時間の関係で私が紹介しますが、三段目の真ん中辺りにありますけれども、「この点は今回の改正中最も重要なものの一つでありまして、少年に対する刑事政策上、まさに画期的な立法と申すべきであります。」というふうに言われております。
大臣、お聞きしますが、やはりこうした旧少年法の下での、戦争に少年たちを動員していったという、この旧少年法が果たした歴史への反省から、戦後、少年法の大改正が、今言ったような、今三つ紹介しましたけれども、ほかにもいろいろあるんですが、大改正が行われて、それによって少年の健全な育成を図ろうということになった、そういう経過だということでよろしいですか。
○上川国務大臣 昭和二十三年に制定されました現行少年法は、保護処分の決定主体、また適用年齢、いわゆる全件送致主義の採用などの点で、旧少年法とは大きく異なるものと承知をしております。
その現行少年法の制定に至った経緯、要因等につきまして、当時の我が国の状況、その背景を踏まえて、様々な分析、評価があり得るところでございます。こうした点については、専門家によりまして学術的、歴史的な検討に委ねるべき事柄ではないかというふうに考えておりますが、現行の少年法を所管する法務大臣といたしましては、この少年法に基づく制度につきましては、少年の再非行の防止と立ち直りに一定の機能を果たしているというふうに認識をしているところでございます。
第一条の理念に照らして、基本的人権をしっかりと守りつつ、矯正保護につきましては十分にこの少年法の趣旨、理念が生かされるよう運用していくべき事柄というふうに考えております。
○藤野委員 ちょっと、聞いていることにはお答えになっていないんですね。やはり重い歴史的事実があるんだ、その下にこういう柱で改正がされているわけであります。
ところが、現行少年法というのは、成立直後から改正の圧力がずっとかけられ続けてきました。一九六六年には法務省から少年法改正構想というのが提出されまして、この改正構想を説明するために、こういう、少年法改正に関する構想説明書というのも出されました。
法務省にお聞きしますが、この構想説明書というのは旧少年法をどのように評価していたか。この説明書の三ページの四行目、「旧少年法は、」から始まる一文、御紹介ください。
○川原政府参考人 お答え申し上げます。
御指摘の部分を朗読させていただきますと、「旧少年法は、長年月の慎重な検討を経たものだけに、すぐれた制度であった。」と記載されております。
○藤野委員 配付資料の三に紹介しておりますが、ちょっと私は驚いたんですね。要するに、当時、一九六〇年の法務省というのは、戦前、旧少年法が保護少年たちを戦場とか満蒙、満州に送り出していった、多くの犠牲を生んだ、そういう法体系の中心にある少年法を優れた制度と評価しているわけです。そして、その下で、この改正構想、法務省の改正案の中では、適用年齢を旧法と同じく十八歳に引き下げるとか、あるいは旧法と同じく検察官に先議権を与えるとか、あるいは虞犯を否定するとか、そういう、旧法に戻していこうという形になっております。
当時の日弁連も、この構想説明書についてこう言っております。構想は、歴史的に克服された少年に対する厳罰の威嚇を復活させ、旧少年法への復帰を目指すものであり、その結果、少年の人権と健全な育成とが犠牲にされるものであるという趣旨の、趣旨というかそういう意見を、日弁連も意見書を出しているんですね。それで出しております。
問題は、なぜ当時の政府は旧少年法への復帰にこだわったのか、ここだと思います。配付資料の四を御覧いただければと思いますが、これは同じ説明書の二百十二ページなんです。こちらで紹介しますけれども、「わが現行少年法は、戦後米国型の法制が移入されて制定されたものであり、必ずしもわが国の風俗・習慣・歴史・風土・国民感情・司法制度に適合したものであるということはできない。」はっきり書いているんですね。つまり、米国型の法制を変えたいということで、この提案がされている。
配付資料の五を御覧いただきますと、当時の、ちっちゃい字で恐縮なんですが、五も、その裏も同じなんですが、例えば、ちっちゃい字の方は毎日新聞の一九六六年五月二十四日付、黄色く塗っている左下のところでは、「法務省のいい分では、現在の少年法は終戦後GHQに押しつけられたものだから、」「改正すべき点が多かった、」と指摘しておりますし、その裏は読売の社説なんですけれども、「法務省としては、このいわば占領立法を、わが国の実情に適合するよう改める」というふうに紹介しております。結局、アメリカから押しつけられたから改正したいというのが動機だったわけですね。
一九六六年当時も、既にもう少年法は二十年近く施行されて、有効に機能している、改正の必要はないという指摘が、後で出しますけれども、最高裁からも日弁連からも立法事実はないという指摘がされていたんですね。立法事実がないのに何が何でも変えるというこの点で、大変今とよく似ていると思うんですが、やはり少年法というのが、日本国憲法に基づいて、教育基本法などと並んで、これはもう押しつけ立法なんだ、もう改正しなきゃいけないんだということで、そういう執念を燃やしてきたということがこの構想書からひしひしと、いろいろな箇所で出てきます。
問題は、幾ら執念を燃やしても、肝腎の立法事実がないわけであります。
最高裁にお聞きしますけれども、ちょっと簡潔に御紹介いただければと思うんですが、幾つか紹介したかったんですが一つだけに限りますけれども、当時、十八歳、十九歳を、適用年齢、外すという案に対して、最高裁はどのように意見を述べられているでしょうか。
○手嶋最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。
委員の資料で御提出をいただいている資料の該当部分を読み上げさせていただくということでよろしゅうございましょうか。(藤野委員「はい、結構です」と呼ぶ)読み上げさせていただきます。
「一七歳と一八歳は人間の精神的・社会的発達段階からみて決して年齢の切れ目ではない。しかも人格の成熟度は個人により、男女により、また地域により差のあることは多く論ずるまでもないところである。したがって一七歳と一八歳との間で一線を画し、一八、九歳と一六、七歳の少年を、その処理・処遇の手続・原理において画一的に区別することは、処遇の個別化に資するところがないばかりでなく、かえって個人の成熟度の変化に応じた個別的処遇の実現を妨げるものといわなければならない。」
○藤野委員 今お読みいただいたのがこの意見なんですね。
確かに、今と状況も違いますし、今回の法案と当時の改正構想には違いもあります。他方、しっかり分析されているので、今と重なる論点も結構あるんですね。
そういう意味で、私は、今回最高裁が、あるいは家裁がこうした意見書を出されなかったことというのは、正直言って大変残念だなというふうに思っております。というのも、現場を一番知っているわけですね、少年犯罪の実情とか少年処遇の実情とか。運営されているわけですから。実際、過去、こういう意見も出されている。しかし、今回はそれが出されていないわけです。
私、なぜそれが必要かなと思うかといいますと、率直に言って、今、国民世論と少年犯罪の現実に対する認識というか、大きなギャップがあると言わざるを得ないと思うんです。少年犯罪は、凶悪犯罪も含めて大幅に減少している。ところが、世論調査をやりますと、少年法改正には賛成だというものが結構あるわけです。現実と国民の認識とが大きく乖離している。乖離を埋めるためには、少年犯罪の実態とか処遇の実態とかをやはり広く国民に知っていただく必要があると思うんです。それには、その現場で頑張っていらっしゃる最高裁や家裁の皆さんが声を上げることが最も効果的だと思うんです。
実際、かつてどうだったか。配付資料の七を御覧いただきたいと思うんですね。
これは、一九六六年、先ほど言った法務省の改正案を出すに当たって、当時の法務大臣である石井大臣が談話を出しております。「広く意見聞きたい」と。「ガラス張りの中で話し合いを進め最良のものをつくりたい。」とおっしゃっております。これに応えて、最高裁は少年問題協議会というのをつくります。事務総長を委員長にして、東京家裁裁判官ら第一線の裁判官も加えて十六人で四回会合を重ねて、先ほど言ったこれを作っていくわけですね。 そして、さらに最高裁は、それを踏まえて、全国の高裁長官・家裁所長会同というのを開いております。それが、次の配付資料八になります。
ここで、当時の最高裁長官、横田最高裁長官のところを黄色く塗って紹介しております。こうおっしゃっています。「非行少年の問題は、少年の環境、教育などの問題も含め、広い視野と高い見識のもとに検討すべき大きな問題である。法務省が、この問題の取扱いに慎重であり、立法当局者だけで立案を進めないで、広く世に意見を問う態度を表明していることは、まことに意義のあることである。」とおっしゃっております、最高裁。
長い歴史もあるわけで、いろいろな立場の違いはあったんでしょうけれども、少なくとも、当時の法務大臣がこうやって呼びかけて、実はこれは複数の案を提示しているんですね、少年法についても。それに対して、最高裁もそれに応えて、今日、家庭局に来ていただいていますけれども、それまでは、実は家庭局の意見表明だったんですね。最高裁全体とかではなくて、家庭局と法務省のカウンターパートがやっていた。というのを乗り越えて、大臣が広く意見を呼びかける、それに対して最高裁も、特別な委員会をつくって、そして意見書をまとめていったわけです。
こうしたプロセスが、少年犯罪とかあるいは処遇の実態に基づく国民世論、これをつくっていく上で大変重要な役割を果たしました。当時の新聞、いろいろ読みましたけれども、本当に大事だなと。一面トップで、ばんばんばんばんやるわけですね。
最高裁にお聞きしますが、現場を一番よく知る者として、やはり今回の法案についてもこうした意見、表明、なされた方がいいんじゃないでしょうか。
○手嶋最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。
かつて、委員御指摘のような意見を最高裁判所事務総局ということで公表した経緯はそのとおりでございます。
もっとも、今回の法案につきましては、公職選挙法の定める選挙権年齢が満二十年以上から満十八年以上に改められ、民法の定める成年年齢も二十歳から十八歳に引き下げられることとなり、十八歳及び十九歳の者が成長途上にあり可塑性を有する存在である一方で、社会におきまして責任ある主体として積極的な役割を果たすことが期待される立場となったことなどを踏まえ、これらの者について、少年法の適用において、その立場に応じた取扱いをすることが適当であるとの考えから、十八歳及び十九歳の者の保護事件及び刑事事件の特例に関して定めるものでありますところ、これは基本的には立法政策の問題であると承知しておりまして、裁判所としては、その当否について意見を述べる立場にはないというふうに考えております。
○藤野委員 いや、立法政策の問題だからって、かつては物すごく意見を言われているんですよ。すごく内部でも検討されて、最高裁長官が意義あることであると言って、やられているわけですね。
大臣にもお聞きしますけれども、今回の審議に当たっても、やはり大臣が呼びかけられれば、それは大臣が呼びかけたのならということで動くかもしれません。大臣、呼びかけられたらいかがですか。
○上川国務大臣 今国会に提出いたしました少年法の改正案でございますが、法制審議会の答申に基づくものでございます。
法制審議会の部会におきましては、関連する法分野の研究者等のほか、少年事件の実務に精通した元裁判官や弁護士、また、家庭裁判所を所管する最高裁判所事務総局の担当官も構成員として参加をされておりました。 また、法務省におきましては、この法制審議会への諮問に先立ちまして、若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会を開催いたしまして、法律、教育、医療等の関係分野の実務経験者や研究者、保護司、元家庭裁判所調査官等、合計四十名、延べ四十一名の方々からのヒアリングを行い、その結果を取りまとめて、また法制審議会に提出をしたところでございます。
さらに、法制審議会の部会におきましても、家庭裁判所、少年院、保護観察所等の視察や、また、その職員等、合計十六名の方々からヒアリングを実施し、それらの結果も踏まえて調査審議が行われたものとの理解をしております。
以上のように、少年法改正案につきましては、御指摘いただきました裁判所も含めまして、多様な立場からの御意見を踏まえた幅広い観点からの検討を経て、全会一致で取りまとめられた法制審議会の答申に基づきまして立案をしたものでございます。
○藤野委員 いや、法制審とおっしゃるんですけれども、今回、どれだけ異常なプロセスだったか。法制審では三年にわたって議論しましたけれども、やはり立法事実に欠けるという根本矛盾を乗り越えられずに、膠着状態に陥るわけです。これを乗り切るために与党PTがつくられて、強引にと言ってはあれですけれども、ある意味、道筋をそこでつけた、そういうプロセスであります。
かつて、法制審というのは、ちょっと調べてみましたら、法務大臣が会長をされていて、諮問する方と出す方がトップが同じというおかしな時代もあって、しかし、それはおかしいということや、何より合議体としての自立性を重視する、そしてより客観性のある議論を促進する立場から、二〇〇〇年に、大臣が会長をするというのは廃止されているんです。だから、法制審というのは、一定の政府からの自立性を持って、専門的立場から客観的な議論が行われるべきところなんです。
ところが、今回の少年法は、完全にもう与党PT主導で議論が進んで、それに沿う形で取りまとめが行われた。こういう形でも異常なプロセスであります。
そういう意味で、もう時間が来ましたので終わりますけれども、やはり少年をめぐって、私は、実態とそして国民世論の間にギャップがある今こそ、まさに広く世に意見を問うことが求められていると思います。
今、最高裁はちょっと沈黙しているんですけれども、裁判官OBあるいは各地の弁護士会、そして刑事法学者、そして日本女性法律家協会や日本児童青年精神医学会などからも反対の声が多く寄せられております。まさに少年犯罪の現場やそれに深く関わる人々の意見であります。こういうものをしっかり受け止めていくことが重要ですし、私どもは、この法案は本当に多くの問題があるというふうに思っております。
このことを指摘して、質問を終わります。
作成者 : fujinoyasufumi