【インタビュー】 「原発ゼロ」こそ日本が進むべき道 ─欧州の原発・自然エネルギー視察も踏まえて
2017年2月22日 未分類
学ぶべきことの多い欧州のとりくみ
2016年8月5日から15日、衆議院経済産業委員会のメンバーでドイツ、ウクライナ、デンマーク、フランスの原発関連施設、再生エネルギーの実情を視察しました。日本の原発政策、エネルギー政策を考える上でも学ぶことが多く、たいへん参考になる視察でした。
強く印象に残ったのは、原発関連施設に携わっている人々の多くが、3・11の福島第一原発事故を自分たちのこととしているということです。説明をしてくれるときにも、節々で、福島県民や原発労働者のみなさんのことを本気で心配してくれていると感じました。ドイツ北部のグライフスヴァルト原発では、みずからも福島第一原発にいったし、娘の名前もちなんでつけたという労働者もいました。福島原発の事故は労働者が悪いのではない、原発が古かったのだ、という発言もありました。これほど福島第一原発事故のことを考えてくれているのかと驚きました。
ウクライナ・チェルノブイリ原発を初めて視察
視察の四日目にウクライナ・チェルノブイリ原発を初めて訪れましたが、非常に印象に残りました。二〇一六年は一九八六年四月二六日に4号炉が爆発事故をおこしてから三〇年の節目です。その時間の経過と深刻さの両方を実感しました。事故をおこした4号炉の近くまでいくことができたのですが、石棺は茶色に変色し、壁にひびが入り、雨水が原子炉内にしみこみ汚染水として流れ出るという、福島第一原発の汚染水問題と同じような問題がおきていました。
また、石棺そのものをおおってしまう巨大なアーチ型の「新石棺」がほぼ完成に近づいていました。「自由の女神」がすっぽり入るくらいで、高さ約一一〇メートル、幅約二六〇メートル、奥行き約一六五メートル、耐用年数一〇〇年という巨大なものです。先日、移動して石棺を覆いました。
そういう面もある一方で、三〇年が経過しても放射能によって汚染された地域は、依然として深刻な状態がつづいていることを実感させられました。
原発から三〇キロメートル圏内は「ゾーン」と呼ばれる立ち入り制限区域で、現在も一八歳以下は立ち入ることが禁じられています。事故当時、一一万六〇〇〇人が強制退去させられました。このなかに原発労働者のためにだけつくられた人工都市プリピチャ市がありました。当時のソ連では恵まれた町で、劇場もあり遊園地あり、と優遇されていたところです。事故翌日の強制避難後、建物も機材もそのままに放置され、草や木が生い茂り荒廃していました。コケの表面に線量計をあててみるととたんに警告音がなって、放射線量の数値がはねあがり、11μSVhでした。また、三〇年たっても、事故を起こした原子炉には手をつけることができず、巨大なアーチで覆うしかないという現実がある――結局、原発は、人間社会と共存できないということを非常に強く感じました。
ドイツ クライフスヴァルト原発の廃炉作業と産業転換─「原発立地は産業の立地である」
ドイツ北部にあるグライフスヴァルト原子力発電所は、かつて東ドイツの電力の一一%をまかなっていたところですが、ドイツ統一後、ドイツ連邦の安全基準を満たすためには大規模な補強工事が必要ということで廃炉が決まり、一九九〇年に運転を停止して、一九九五年から六基同時の廃炉という世界でも最大規模の廃炉作業がおこなわれているところです。約九〇〇人が作業に携わっているように、計画的に廃炉をすすめ雇用が生まれているということでした。
また、「原発の立地は産業の立地である」という言葉が心に響きました。原子炉以外の建屋や送電網などのインフラは使えるということです。それを使って、たとえばロシアからバルト海にパイプラインをひいて天然ガスを輸送し、ドイツやEU諸国に売却する計画があるとか、全長九八〇メートルもあるタービン建屋では、その空間を利用して風力発電機の建設用のクレーンをつくっていました。また、送電網を生かそうと洋上風力発電が計画され、洋上風力発電をおこなう企業の誘致にも成功し、二〇一九年に稼働することになっています。チェルノブイリ原発でも、変電施設や送電網がつかえるので、バイオマス発電が計画されていましたが、インフラを集約的に利用する必要がある点は共通しています。
日本にもたいへん参考になることだと思いました。
技術者がくり返して言っていたことは、原発は後付けできないということです。古い原発は設計思想が「安全神話」から成り立っており、グライスフヴァルトの原発も「安全神話」のもとで1?3号機までつくられており、全電源喪失はまったく考えられていなかったとのことです。あとから全電源喪失の対応をとろうとしても、原子炉や格納容器は狭いうえに配管が入りくんでいて、作業自体困難だし、高濃度で汚染されており無理だと強調していました。
じつはいま東ヨーロッパなどで四〇年をこえる原発の運転延長が問題になっています。この方は、「老朽原発は過酷事故を想定して設計されていない。後から設備を付け足すやり方では絶対にカバーできない」とのべ、「絶対に運転延長はだめだと反対している」と強調されていました。まさに日本の原発にあてはまる重要な指摘です。
デンマーク・ボーンホルム島─自然エネルギー一〇〇%を目標に
エネルギー政策の点では、デンマークで自然エネルギーの施設をかなり見ました。強調されたのは、デンマークでは、これまでは生産するエネルギー会社から見たエネルギー政策だったけれども、これからは消費者側にあわせた生産をしないと計画は成功しないということでした。また、消費者自身も節電などもふくめて積極的にエネルギーのあり方に関与していくことが基本的な方針とされており、実際にそれが実施されていました。
私が視察した、ボーンホルム島は人口四万人の、淡路島とほぼ同じ面積のところです。この島では、二〇二五年までに一〇〇%自然エネルギーでまかなうという計画がたてられています。それを実現するためにも消費電力を下げることや、住民が集中して電力を使うときと使わないときがあり、この電力消費のアップダウンをなるべく一定にすること、そのためにも住民の電力消費行動の詳細なシミュレーションをつくっているということでした。それらのことを考えた場合、消費者が参加してくれないとうまくいかないという説明でした。
二〇一四年には四八%が風力、五%が太陽光、三八%がバイオガスだったのを二〇一七年までに五五%が風力、六%が太陽光、八%がバイオマス、三八%を木質発電になる予定だということでした。
デンマーク・フュン島─風力発電は裾野の広い産業
フュン島にある、洋上風力発電機で世界有数のシェアを占める、デンマーク企業と三菱重工の合弁会社の工場も視察しました。造船工場の跡地を再利用している企業です。
デンマークは週三七時間労働で、二国間の風習や文化を取り入れて効率的に作業をおこなっているとのことでした。風の力を電気に換える発電機や翼の角度を自動的に変えることができる増速機が収納されている「ナセル」―羽(ブレード)に接続している部分―は、部品数が四万点で自動車一台分の部品数よりも多くなっています。「ナセル」には増速機などハイテク部分もあって、裾野が広い産業ですから、日本でも多くの産業に波及効果があると実感しました。
自然エネルギーはよく「不安定だ」という人がいますが、いまやそんなレベルではないという説明も受けました。何十年にわたっていろいろな場所で風力発電がおこなわれ、風がどの時期にどのように吹いて強さはどうかといったビッグデータが整っていて、風力発電の調整に生かされていました。物づくりももちろんなのですが、そういう最先端の部分も日本が活躍できる分野ではないでしょうか。
日本の場合、陸上よりも洋上に大きなポテンシャルがあります。たしかに浮体式など洋上の風力発電はコストがかかるなどの問題がありますが、現地の担当者は、「お金が国内でおちるのであれば問題ない」と力説していました。
視察の最後は「原発大国」フランスでした。核燃料再処理工場、MOX燃料製造工場、核融合実験炉の三つの施設を訪ねました。MOX工場の入り口には英語などとともに日本語で「ようこそ」と書かれているなど、いずれの施設も日本が深くかかわっていることを実感させられました。
帰国した翌週、日本共産党国会議員団で福島県の南相馬市、川俣町に現地調査に入り、首長や住民のみなさんと懇談、現地視察などをおこなってきました。
チェルノブイリ原発を見てきた直後だっただけに、さまざまな思いがよぎりました。ふるさとであるにもかかわらず帰りたいけれども帰れない、帰る条件もない、という非常に複雑な思いがあることをあらためて実感しました。
川俣町では、もともと二〇一六年の七月に避難指示を解除する予定で、町も解除の条件があると判断していましたが、解除に反対する町民の強い思いを町長もうけとめて解除を延期しました。これに対して、国が、川俣町は「早組」だからはやく解除せよ、解除しなければ補助金のカットをちらつかせるなど露骨な圧力があったと現地でお聞きしました。
国は、福島第一原発から遠いところから「早組」「中組」「遅組」にわけて、避難指示解除を「早組」から順番におこなうことにしている実態がわかりました。しかし、避難指示が解除されれば一年後には賠償がカットされる、避難指示解除と賠償打ち切りがセットになっていることに住民のみなさんの怒りは大きいものがあります。また、自主避難している人の住宅保障も二〇一七年三月で打ち切るというのです。
自治体や住民のみなさんが町の再建に懸命のとりくみをすすめているのに、国は、事故は収束したと見せたいがために、スケジュール先にありきで強引にすすめて、あたかも原発事故、被害がなかったことにしようとしている、まさに切り捨てです。町民の思いを無視していることは絶対に許せないことです。
先ほどのべたようにヨーロッパで説明してくれた原発技術者のみなさんは、福島第一原発事故から教訓をひきだそうと努力し、対応するとともに、福島に思いをはせてくれていました。そして、「安全神話」思想のもとでつくられた古い原発の再稼働は危険だと強調していました。
しかし、安倍政権はどうでしょうか。福島で被災地の状況や住民の思いをまったく無視して、避難指示の解除を強引におこなう一方で、世論の反対の声をふみにじって原発の再稼働をすすめています。原発事故の教訓をまったく学び生かそうとしていません。
「四〇年炉」の運転延長をつぎつぎ認可
日本では、福島第一原発事故前は五四基の原発がありました。現在、事故目前に決まっていたものも含めて一五基の廃炉が決まっています。そのほかの八基は原子力規制委員会の「新規制基準」による適合性審査が終了しています。原発事故をふまえて原発の運転期間を原則四〇年とする法改正をしたにもかかわらず、それが骨抜きにされています。原子力規制委員会は、二〇一六年一一月末で運転開始から四〇年がたつ関西電力美浜原発3号機の二〇年間の運転延長を認可しました。同じ関西電力の高浜1号機(運転期間四二年)・2号機(四一年)の運転延長を認可していますから、これで「四〇年炉」の二〇年延長認可が三基となりました。
もともと「四〇年炉」の運転延長は「例外中の例外」とされてきました。にもかかわらず、福井県にある、高浜1・2号機、美浜3号機の延命策がとられたわけです。つまり運転期間が四〇年を超えた原子炉の再稼働を求めたところはすべて運転延長が認可されているのです。福井県の現地では、「例外中どころか全員合格ではないか」と怒りの声があがっていますが、当然です。
事業者の言い分認めて免震施設でなくても良しとした規制委員会
この間の原子力規制委員会の適合審査も、福島第一原発事故の教訓を投げ捨てて、再稼働ありきですすめられていると言わざるをえません。
私は、国会で何度も原発問題を取り上げていますが、肝心なところではまともな答弁がなされないのです。たとえば福島第一原発は六基が集中立地していて四基が同時に事故をおこして取り返しのつかない事態を招きました。したがって集中立地している原発の再稼働には少なくとも慎重で、厳しい審査が必要なはずです。しかし規制委員会は、集中立地の原発の問題をとりあげても、その場所に原発があり、そこから審査の申請がきたらその申請をうけざるをえない、としてその原発だけの審査をする。福井県の若狭湾沿岸には原発が一五基も集中していて、そこでいったん事故がおきると福島の事故のように同時多発で深刻な事態になることが想定されているにもかかわらず、大飯原発は大飯原発だけ、高浜原発は高浜原発の申請されたものだけ単独で審査して、いっさいほかとの関連をみようとしません。
免震重要棟は福島の事故のときも大きな役割を果たしました。これがなかったら、事故の対応はできず、被害がさらに広がったかもしれません。ところが、原子力規制委員会は免震そのものを求めているのではないという言い方をしだしたのです。規制基準には揺れに耐えられるものであればいい、耐震でも、免震でもいいというのです。
これは免震施設だとコストや審査にかかる負担が大きくなるからやめたいという事業者の言い分を認めてしまった結果です。ここでも福島の教訓がないがしろにされています。
高浜原発などの老朽原発についていえば、「四〇年ルール」との関係もあります。免震施設をつくったり、審査に時間をかけていたら、四〇年の運転期間を超えてしまいます。そうなると廃炉になります。それを避けるために免震構造でなくてもいいということにしたのです。
先日も関西電力美浜原発3号機の蒸気発生器の耐震評価についてとりあげました。新しい規格では不合格になるにもかかわらず、耐震評価の古い規格を用いて原子力規制委員会の審査に合格していたのです。蒸気発生器伝熱管が地震の揺れに耐えられるかどうかというものですが、本来であれば不合格となるものです。
住民の避難についても同様です。たとえば、福井県などでは、冬は積雪で道路が通れなくなることは当然おこりうることです。原発事故だけではなくて、地震や積雪、風などさまざまなことが複合的に起きます。実際に、原発事故にともなう避難訓練が各地でおこなわれていますが、伊方原発では波が高くて船が出ない、志賀原発では飛ぶべきヘリコプターが風の影響で飛べないということがおきています。倉林明子参議院議員が取り上げたことですが、高浜原発の避難訓練では風が強くてヘリが飛べなかったのですが、調べてみると高浜原発のある地域では年間一八〇日以上、その風速よりも強い風が吹いているのです。まったくの机上の対応策なのです。そうしたことも審査ではまったく無視されています。
まさに再稼働ありきで、「世界一の厳しい基準」どころか、きわめていい加減、恣意的なものになっています。私がヨーロッパで体験、見聞してきたことと比しても雲泥の差です。最大の問題は、政府が原発事故を経験しても原発を動かす方針をとりつづけているからということです。政府のそういう原発固執政策が、電力事業者の姿勢や原子力規制委員会の姿勢にお墨付きをあたえているのです。
そもそも福島第一原発事故の収束の見通しがまだまったく立っていません。政府が決めた廃炉に向けた中長期ロードマップでは汚染水問題の解決が廃炉にむかう前提とされていますが、その一丁目一番地である汚染水への対応が成功していません。汚染水への対応の切り札とされていた凍土壁は完全に凍りきらず、依然として原子力建屋に大量の地下水の流入がつづき、汚染水がふえつづけています。原子力規制委員会のメンバーは凍土壁について〝すだれのようだ〟と失敗を認めています。汚染水は、タンクに入れて敷地内に置かれていますが、その場所もなくなりつつあります。汚染水が増えつづけており、今後、どう貯留していくのか深刻な問題となっているなど、汚染水対策は破綻に直面しています。
しかも、こうした事態に直面しているにもかかわらず、まともに向き合おうとしていません。莫大な費用をかけて凍土壁をつくっていますが、それが破綻しているのに、まともに総括もせずにずるずるとつづけています。いま立ち止まって、何が問題でどのような対策をとるのか、ということを真剣に議論をしないという、あってはならない状況がここでも出ています。もともと凍土壁は実証されていない工法で、効果が疑問視されていましたし、当初から別の工法が提案されていました。ここで英知をあつめて再検討することが求められています。
安倍政権は「政府が前面に立ってやる」と口でいうだけで、「東電任せ」にしています。これでは絶対にだめです。いくら東電が「できます」といってもできないことはこの間の事態が証明しているわけですから、政府は責任をもって対応すべきです。
経済産業省は、福島第一原発事故の廃炉費用・損害賠償などが、当初の想定を大幅に上回る二一・五兆円にのぼるとの試算を公表しました。そして、この増大した費用は税金、電気料金に上乗せにして、国民負担増の方向を明らかにし、今後も費用が増大する可能性があるとのべています。その一方で、世耕経産大臣は、「いろんな費用を全部含めたとしても発電単位あたりのコストは原発が一番安い」といまだに原発は安いといいながら、国民に負担を押しつける支離滅裂な状態になっています。
一番の問題は、廃炉などの費用がいったいどれくらいふくれ上がるのか、まったく明らかにされていないということです。「東電審査会」などの会議で、今後予想される費用について議論していますが、その多くが非公開とされています。
だいたい、廃炉の前提になっている汚染水対策もまだめどがたっていませんし、原子炉の中の状態がどうなっているか、溶け落ちた核燃料の塊、デブリを取り出すための方策も研究段階ですから、これからも廃炉費用はさらにふくらむ可能性があります。ドイツでも廃炉は数十年単位で考えられており、福島第一原発の場合は事故がおきメルトスルーしている原子炉で、汚染されているなかでの廃炉作業です。一体どれだけの年月が必要で、費用はいくらかかるか見通しもたっていません。
請求書の名宛て人は国民だけれども、金額が書かれていない「白紙の請求書」をつくっておいて、総額がいくらかかるかわからないけれど国民へつけ回しする仕組みをいまつくっておく、ということです。責任も総額もまったく不明なままおしつけとようとしている、でたらめな話です。
行き詰まる原発政策─核燃料サイクルの破綻
安倍政権は、依然として「四〇年炉」もふくめて再稼働するなど原発に固執しています。しかし、高速増殖炉「もんじゅ」が廃炉に追い込まれ、核燃料サイクル路線は完全に破綻し、使用済み核燃料の処理方針は成り立たなくなっています。再稼働すれば、使用済み核燃料は生まれますが、貯蔵プールは平均六年で満杯となって「核のゴミ」はあふれてしまいます。
多くの国民は「もんじゅ」後の対応を注視していたと思いますが、安倍政権は、今度は何の反省もなく、「高速炉」をすすめるという方針を打ち出しました。しかも、この「高速実証炉」開発の方針を決めた経済産業省の「高速炉開発会議」のメンバーは、世耕弘成経済産業相、松野博一文部科学相、「もんじゅ」を運営している日本原子力研究開発機構の児玉敏雄理事長(三菱重工業の元・副社長)、電気事業連合会の勝野哲会長(中部電力社長)、「もんじゅ」の原子炉をつくっている三菱重工業の宮永俊一会長という五人です。原発推進の中心にいるような人物ばかりで、しかもほとんどが非公開です。
私は、このようないい加減な対応に、原発再稼働反対の強い世論にくわえ、マスメディアも含めて国民的な批判の強さが一段上がったと感じています。
安倍政権は原発再稼働をすすめ、あまつさえ、外国に原発を輸出しようとしています。しかしそれもベトナムが福島原発事故の経験から安全性への懸念、財政難から原発輸入計画を白紙撤回するなど、矛盾にぶちあたっています。
いま安倍政権の原発固執路線は3・11以降の原発のない日本を求める圧倒的な国民世論に逆行していることに加えて、「もんじゅ」の破綻、ふくれ上がるコストの国民への押しつけなど、新たな矛盾に目を閉ざして、原発の再稼働や輸出を強行することによって、さらなる国民世論の怒りを呼んでいます。まさにらせん状に悪循環になっている状況です。
この世論にこたえて、原発のない日本に転換することこそ悪循環から抜け出す道です。私も新潟県知事選挙のときに新潟に何度もいきましたが、原発再稼働反対、原発はなくそうという流れはすごく、誰もとめられないものになっていると実感しました。
欧州視察で聞いた「原発の立地は産業の立地」という言葉は多くの示唆をあたえてくれていると思います。原発立地の自治体では、原発があることでモノクロの産業構造になっています。原発をなくしていけば、その土地の特色を活かしたカラフルな産業が花開きます。その意味では、私は、石炭から石油への転換のとき、特別会計をつくって四〇年、四兆円をかけて産業構造の転換をはかった経験が参考になると思っています。さまざまな問題をもっての転換でしたが、そこから教訓を導き出して、国、自治体、事業者が何をやるべきか、を学び取ることが大切です。夕張市が困難に陥った大きな要因は、事業者が施設も市に買い取らせて、雇用の手立てもとらずに出て行ったことです。国や自治体、グループ企業がどういう役割をはたして転換していくのか、産炭地域の経験は、多くの示唆をあたえてくれます。ましてや、ヨーロッパなどに先行のいい例もあります。そこは政治が決断してふみだすかどうかが決定的です。
自民党は国会の中ではたしかに多数を持っていますから、強行につぐ強行など民意を無視した態度をとりつづけていますが、そこに展望はありません。いまこそ、党派の違いをこえて、原発との関係を根本から問い直すべきときです。私も、原発ゼロの日本に向けて多くのみなさんとの対話と共同を広げたいと思っています。
作成者 : fujino